Persona

 送信ボタンを押したことを後悔した瞬間なんて呆れるほどある。それは例えば、相手からの返事を待たずに立て続けに連絡してしまったときだったり、居ても立っても居られず早朝、まだ薄暗い時間に夜中の間に考えた文字をはっきりしていない頭で送ったときだったり、好きで好きで好きで、会いたい、という単語以外に送る言葉が見つからなかったときだったり。

 けれど本当は、タイミングが悪かったのでも、文章の内容が露骨だったからでも、相手に遠慮しすぎたからでもないってことくらい、とっくに理解している。それくらいの理解力はあるほどの年月を、そして、自分もまた同じような対応を誰かに、等しく、してきた自覚もある。

 果たして、次、はあるのだろうか。あの日、目の前で笑ってくれた顔を、一緒に食べたパスタを、久しぶりに飲んだスタバの味を、今度はうちに遊びに来なよと言ってくれた言葉を、反芻する度に、胃の中から思い出の塊が出てきそうになって、今ここで大声を出せたら気持ちいいのではないかと、駅のホームで電車を待ちながら考える。

 働いている職場付近をうろついて、偶然を装って会いに行って、お互いこんなところで会えるなんてびっくりだね、なんて会話して、運命ってものを感じさせてみようかっていう思考。それはギリギリのラインを通し越してアウトの領域になってるという理性。忘れなさいって並列思考Aが言う。次の休みは何してるのかと連絡して、一週間経っても返事が無くて、我慢できずにもう一度連絡したのはつい昨日のこと。それでも返事が無い場合、つまり、脈が無いどころか記憶にすら残したくない可能性があるから、忘れなさいってAは言う。我慢の時間だって並列思考Bは微笑む。仕事が忙しくて返事が送れないだけかもしれないし、先の予定が立てにくい状況なのかもしれないから、もう少し時間を置いて、今度は相手を気遣うように、なにか楽しい話題や、この前話した内容を膨らませて連絡するのは来週までおあずけだって、焦っちゃ駄目だって大人なBは頷く。

 自分の中にこんな並列思考がいたことに驚きながら、けれどもどちらも間違っていることも、実は知っている。

 どれだけ歳を重ねても、この気持ちに向き合っていかなきゃならないんだなって思うと、不安が影を刺してくる。やっかいなことに、学生の頃みたいに気軽に聞いてくれる友達も、飲み明かせる仲間も、月日とともにどんどん少なくなるのが、人間というものらしい。

 熱いシャワーを頭から浴びる。鏡に写る自分の顔を見つめる。20代の頃に比べて増えてきたシミやシワ、薄くなる頭皮、凹凸の無くなった身体。健康診断では平均的な30代男性として評価されていても、濡れた鏡越しにもわかる顔の毛穴や、明らかに量の多くなった抜け毛、横から見ると胸より出始めた腹、ふと、このままどんどん老いていく自分を想像して、すでに父親になっている同級生たちから送られてくる年に一度の年賀状を思い出す。

 ここで普通なら、このままでは駄目だ、と一念発起して自分磨きに精を出すのだろうけれど、今の自分は、そこまでする気力もない。一体、ここから健康に目覚め、食事管理をし、体型維持に運動を始め、誰が求めてくれるのだろう。

 まだ出会って2回しか会ったことのない人に、心惹かれ、また会いたいと、この人のことを知りたいと、こんな気持ちになったのは何年振りだろうかと、世界が色めき立った矢先、始まるでも終わるでも、繋がるでも解けるでもなく、ただ、止まった。恋とも呼べない、ただの一方的な衝突。そもそも相手が自分をどう認識していたかすらわからない状況で、勝手に相手のことをタイプだと見定めて、半ば無理矢理に誘った結末。

 強くなりたいなって思った。30代、仕事も覚え、新人に指導することもあり、見本になれと上から言われ、徐々に、確実に、スキルアップと成果を出し続けた挙句、プライベートがだった一人に狂わされているこの現実を目の当たりにして。

 スマホの通知がくると、無意識に意識的に、心が粟立ち、決して期待するなと言い聞かせながら覗くスクリーンに、落胆する瞬間を、一日に何度繰り返せば気が済むのだろう。

 見るでも眺めるでもなく点けたテレビから流れる音楽は、今の自分の気持ちを代弁してくれる歌詞で溢れてて、落ちていく心を、もっと深く突き落としてくれる。こんな気持ちになるのなら、出会わなければよかった最初から。その言葉に共感する人たちは、今この地球上に何人いるのだろう。自分と同じように。

 恋愛バラエティに登場する男女の美しい顔と、意中の人に相手にされず涙する姿を自分に重ねようとしても、そもそもの顔立ちが違いすぎて感情移入できない。ただ、こんな綺麗な人でも誰かを好きになって、その想いが届かず嗚咽を漏らすなんて、恋愛に関しては世界中の人が平等なのかもしれない。

 なんとなく、義務的にやらなくてはいけない気がして毎日つけている化粧水を顔に塗るとき、この行為にどんな意味があるのだろうかと疑問に感じた。学生時代に付き合っていた子がやっていたから、それを真似るように始めたこの作業。無くなったら同じものを買ってきて、特に考えることもなく、肌につけているこの水。たまに塗り忘れると、肌が引っ張られるような感覚になり煩わしいから、毎日塗るようになっただけの水分。

 日焼けしていようが、ニキビが出来ようが、気にせず使っているこの液体は、自分の肌にどんな効果をもたらしてくれているのだろう。塗った後の、てかてかと光る肌を見つめる。美白とか薬用とか、いろいろな言葉とともに陳列されているボトルを思い出す。

 手のひらに出して、顔に塗りたくる。ベタベタになった手と顔を見て、もっと塗ってみる。どこかで見た知識を元に、両手で頬を叩いて続ける。何度も何度も、このよくわからない液体を両手で顔に叩き込む。頬が痛くなっても止めなかった。ヒリヒリし始めた頬と両手が、現実を教えてくれていて、そのまましばらく洗面台に立ち尽くした。

 もし、もし仮に自分がもう少し整った顔だったら、まだあと少しは会うことができたのだろうか。笑いながら一緒に過ごす時間を引き延ばすことができたのだろうか。ありもしない現実を想像して、ありえてる現実に目を背けようとして、その落差に失望する。

 赤く腫れた頬と、滴る水。顔を照らす蛍光灯は、今日も無機質に光っている。

 そろそろ結婚しないのかと親からの電話で言われたのを、仕事が忙しくてそれどころじゃないと返したけれど、実際問題、仕事が暇でも結婚なんてできないよ。

 出会う人もどんどん限られてくる年齢になって、ようやく出会えた人とも上手く距離感を掴めないほどご無沙汰になってしまった息子でごめんねという気持ちと、勝手に年齢だけで結婚を考え始める親の身勝手さに辟易する。明日も明後日も、明明後日も弥明後日も、もしかしたら来週も、来月も、このまま永遠と返事を待ち続けているかもしれない自分を想像して吐きそうになる。

 せめて、今度、もし、奇跡的に、忘れた頃くらいに、何かの拍子に返事がきたとき、今より少しでもいいから強い自分でありたいと思った。そして、この恋と呼べるかどうかもわからないものが風化したとき、新しい人と出会えたとき、もっと自信を持てていたいと願った。

 

 

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